World Wide Webの登場~ティム・バーナーズ=リーが変えた世界
今では誰もが当たり前のように使っているWebサイトやWebブラウザ。これらを可能にしたのがWorld Wide Web(WWW)という技術です。このWWWを生み出したのが、イギリス人の計算機科学者ティム・バーナーズ=リーでした。1989年3月、彼がスイスの研究機関CERNで提案した情報管理システムが、後に世界を変える技術革新へとつながっていきます。
バーナーズ=リーは1955年6月8日、ロンドンで生まれました。両親はともに数学者で、黎明期の電子計算機Manchester Mark Iの開発に携わっていたという家庭環境でした。彼自身はオックスフォード大学で物理学を専攻していましたが、「コンピューターの方が面白そう」という理由でコンピュータに没頭するようになります。この興味が、やがて情報革命を引き起こす原動力となりました。
1980年、バーナーズ=リーはCERN(欧州原子核研究機構)にソフトウェア技術のコンサルタントとして6か月間在籍しました。CERNでは数千人もの研究者が在籍し、それぞれ異なる研究を進めていたため、情報共有が大きな課題となっていたのです。この時期に彼が個人的に開発していたのが「ENQUIRE(エンクワイア)」というシステムでした。ランダムに他の文書と連結できる仕組みを持ったこのシステムは、公表されることはありませんでしたが、WWWの概念の基礎となる重要なアイデアを含んでいました。
1989年の歴史的提案
1984年にCERNへ復帰したバーナーズ=リーは、科学データ閲覧のための分散リアルタイムシステムに関する業績でフェローシップを贈呈されます。そして1989年3月12日、彼は「Information Management: A Proposal(情報管理:提案)」というタイトルの提案書を執筆しました。この文書が、WWWの正式な誕生を告げる歴史的な瞬間となります。
提案書では、ENQUIREを参照しつつ、さらに進んだ情報管理システムの構想が示されていました。バーナーズ=リーの革新的なアイデアは、すでに存在していたハイパーテキストの概念とインターネットを結合させることでした。彼は著書「Weaving The Web」の中で、この2つの技術の結合は双方の技術コミュニティの協力によって成立すると考えていたと述べています。しかし誰もこの提案を取り上げることはなく、最終的に自分自身でプロジェクトを実行することになりました。
WWWという名前の由来
システムの名称を決めるにあたって、バーナーズ=リーはかなり悩んだようです。当初の候補には「The Information Mine(情報鉱山)」がありましたが、頭文字を取ると「TIM」になってしまうため、自分本位すぎると判断して却下しました。また、「文書同士が繋がる情報網」という意味で「Mesh(メッシュ、編み目)」という案もありましたが、「Mess(混乱)」と聞き間違える恐れがあることから見送られています。
最終的に採用されたのが「World Wide Web」という名前でした。世界中に広がる情報網が「クモの巣」のように見えるというひらめきから、「世界中に広がるクモの巣」という意味でこの名称が付けられたのです。バーナーズ=リー本人は、この言葉は独立した3つの単語からなり、ハイフンは入らないと明確に述べています。略称の「WWW」は「World Wide Web」よりも音節数が多く発音に時間がかかりますが、他の人から名前を変えるよう助言されても、彼自身がこの名称に固執したと言われています。
WWWを支える3つの基本技術
バーナーズ=リーが示した基本的概念は、シンプルでありながら極めて強力なものでした。WWWは3つの主要技術によって成り立っています。これらは今でもインターネットの根幹を支える重要な仕組みとして機能しています。
1990年11月、バーナーズ=リーは上司のマイク・センドールや同僚のロバート・カイリューの支援を受けて、より具体化した提案書「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」を提出しました。そして同年12月、NeXTSTEP上で世界初のWebサーバである「httpd」と、世界初のWebブラウザ・HTMLエディタである「WorldWideWeb」を構築します。1990年12月20日、世界最初のWebサイトが公開されました。
URL、HTTP、HTMLの役割
WWWを構成する3つの基本技術は、それぞれ異なる役割を担っています。まず、URL(Uniform Resource Locator)は、インターネット上の情報の「住所」を示すものです。バーナーズ=リーはこれを当初URI(Uniform Resource Identifier)と呼んでおり、グローバルな資源識別子として開発しました。
次に、HTTP(HyperText Transfer Protocol)は、Webサーバとブラウザの間でデータをやり取りするための「通信ルール」です。この統一された通信プロトコルにより、異なる種類のコンピュータ同士でも情報を交換できるようになりました。そしてHTML(HyperText Markup Language)は、ハイパーテキストリンクの機能を持つ文書フォーマット言語で、Webの主要な出版フォーマットとなっています。
| 技術 | 正式名称 | 役割 |
|---|---|---|
| URL | Uniform Resource Locator | インターネット上の情報の住所を示す |
| HTTP | HyperText Transfer Protocol | サーバとブラウザ間の通信ルールを定める |
| HTML | HyperText Markup Language | 文書の構造と表示方法を記述する |
他のハイパーテキストシステムとの違い
WWWは、当時実現していた他のハイパーテキストシステムといくつかの点で異なっていました。最も重要な違いは、双方向ではなく単方向のリンクを使用したことです。これにより、何らかの資源の所有者と連絡を取らなくてもリンクすることが可能となりました。この設計によってWebサーバやブラウザの実装が簡単になり、WWWの急速な普及を後押しします。
ただし、この単方向リンクの仕組みには弱点もありました。リンク先の資源がいつの間にか無くなってしまう、いわゆる「リンク切れ」の問題が発生するようになったのです。それでも、実装の簡便さと普及のしやすさというメリットが、この欠点を大きく上回ると判断されました。
WWWの一般公開と爆発的な普及
1991年8月6日、バーナーズ=リーは「alt.hypertext」というニュースグループに「World Wide Webプロジェクトに関する簡単な要約」を投稿しました。それまでCERN内部でのみ使用されていたWWWプロジェクトを、この投稿によって一般に公開したのです。この投稿には、WWWプロジェクトの概要、ソフトウェアのダウンロード方法、そしてプロジェクトへの参加方法が記載されていました。
世界中の開発者がWWWの技術に触れ、改良や拡張を行うことができるようになった結果、WWWは急速に広がり始めます。そして1993年4月30日、CERNはWWWを誰に対しても無償で開放することを正式に発表しました。この無償公開の決断が、現代のインターネット社会の基盤を築く重要な転換点となります。
バーナーズ=リーは、特許を取得したり高額な使用料を設定したりする道を選びませんでした。世界的な成功を収めた発明を無償で公開するという決断の背景には、「世界に情報を行き渡らせるには、制限よりも自由が必要だ」という彼の信念がありました。新たな社会インフラとするべく無償で公開し、衆知を集めるという道を選んだのです。
W3Cの設立とWeb標準の確立
WWWが急速に普及し始めると、異なるブラウザやプラットフォーム間での互換性の問題や、Web技術の乱立による混乱が懸念されるようになりました。こうした状況に対応すべく、1994年10月、バーナーズ=リーはマサチューセッツ工科大学を拠点に「World Wide Web Consortium(W3C)」を設立しました。
W3Cは、Web標準を策定する国際的な団体として、HTML、CSS、XMLなどの仕様を整備し、世界中の企業や研究者と連携しながらWebの統一的な発展を推進していきました。Webサイト、ブラウザ、Webが提供するすべてを体験できるデバイスを構築するためのWeb標準の急速な進歩に対応する一貫したアーキテクチャを育成することが、W3Cの重要な使命となったのです。
- 1994年10月:MIT、CERN、DARPAの支援でW3C設立
- 1995年4月:フランスのInriaがヨーロッパ初のホストに
- 1996年:日本の慶應義塾大学がアジアのホストに
- 2013年:中国の北京航空航天大学が4番目のホストに
- 2023年:W3Cが新たな公益非営利団体として独立
タイム誌が選んだ20世紀の重要人物
バーナーズ=リーの功績は、世界中から高く評価されています。1999年、『タイム』誌の「20世紀で最も重要な人物100人」の一人に選ばれました。2004年にはイギリスから騎士(ナイト)の称号が授与され、フィンランド政府による「ミレニアム・テクノロジー賞」も受賞しています。さらに2002年には日本国際賞を受賞するなど、その貢献は世界的に認められました。
興味深いのは、2012年のロンドンオリンピック開会式で、バーナーズ=リーが大トリとして登場したことです。このことは、WWWの発明が現代社会においていかに重要な意味を持つかを象徴的に示す出来事でした。彼は常に控えめで誠実な人柄として知られており、会議でも自分の意見を押しつけることは少なく、常に「オープンな議論」の場を重んじる姿勢を見せると同僚たちは語っています。
WWWがもたらした情報革命
WWWの登場は、インターネットの使い方を根本から変えました。それまでのインターネットは、技術者や研究者といった限られた人々が専門的な知識を駆使して利用するものでした。しかしWWWの登場により、誰でも簡単に情報にアクセスし、発信できる時代が到来します。
バーナーズ=リー自身が語ったように、「ウェブの力はその普遍性にある」というビジョンが、最初から明確に示されていました。彼はWebを「全ての人のための創造物」と位置づけ、そのオープン性や中立性を守ることに情熱を注いできました。これは一人の技術者という枠を超えて、世界中の人々をつなぐ新しいコミュニケーション手段を切り開いた革新者の姿勢そのものです。
情報アクセスの民主化
WWWが実現したのは、情報アクセスの民主化でした。以前は、情報を得るには図書館に足を運んだり、専門書を購入したり、専門家に問い合わせたりする必要がありました。しかしWWWの登場により、自宅や外出先から、世界中の情報に瞬時にアクセスできるようになったのです。
検索エンジン、オンラインショッピングサイト、SNS、動画配信サービスなど、現代の私たちが日常的に使っているサービスは、すべてWWWの上に成り立っています。教育、医療、行政、ビジネスなど、あらゆる分野でWebが活用され、社会全体のデジタル化が進みました。これらすべては、バーナーズ=リーが1989年に提案した情報管理システムから始まった変革だったのです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1989年3月 | バーナーズ=リーがWWWの提案書を執筆 |
| 1990年10月 | 最初のWebサーバ「httpd」とブラウザ「WorldWideWeb」を開発 |
| 1990年12月20日 | 世界最初のWebサイトを公開 |
| 1991年8月6日 | WWWプロジェクトを一般に公開 |
| 1993年4月30日 | CERNがWWWの無償開放を宣言 |
| 1994年10月 | W3C(World Wide Web Consortium)設立 |
これからのWebへの期待と課題
WWWの誕生から30年以上が経過した現在、世界の半分以上がインターネットに接続されています。しかしバーナーズ=リー自身が指摘するように、Webは多くの革新を生み出した一方で、憎しみを拡散し、違法行為を容易にするという負の側面も持つようになりました。プライバシーの問題、フェイクニュースの拡散、デジタルデバイドなど、解決すべき課題は山積しています。
こうした現状に対して、バーナーズ=リーは「Contract for the Web」という取り組みを提案しています。これは、政府、企業、一般市民とともに、未来のWebのロードマップとなる基準を確立する試みです。「インターネットは万人のものであり、私たちは人類という集合体としてそれを変革する力を持っている」という彼の言葉には、Webの未来への希望と責任が込められています。
バーナーズ=リーは、ネットにアクセスする権利は基本的人権とみなされるべきだと主張しています。Webを「誰のものでもなく、全員のものであるべきだ」という信念を貫き通す彼の姿勢は、技術の発展だけでなく、その使い方や社会への影響を常に考え続けることの大切さを私たちに教えてくれます。1989年に始まった情報革命は、今もなお進行中なのです。